コーマンやろう80年代鮫虎は実家から通いながら、代々木に隠れ家(ぼろアパート)を持ってました。代々木駅徒歩3分 代ゼミ徒歩20秒のところに。 毎朝、その隠れ家でボリュームを最高にして1日に気合を入れるために、 LIVE後楽園スタジアムのアンコールの「鎖を引きちぎれ」 ベースが腹に響き、部屋のドアを開けるときには、矢沢気分で、 「GOLD RUSH」と叫びながら、会社に通ったもんでした。 ある日、代々木駅前で後輩にばったり そしてサテン「小島屋」で、だべりまくったものでした。 そこらあたりの屋上は、あのショーケンが「傷だらけの天使」で、 ペントハウスを創って撮影をしていたあこがれの場所だったので 「DKB」のバッチをつけてるので、なんだそりゃと聞いたら そこの第一勧業銀行の代々木支店に勤務しているとか あきれて鮫虎「俺はリーマンやってるのに、お前銀コーマンか、 エエのう、給料高くて、コーマンは」 鮫虎の部屋から15秒くらいやんその「一勧」 当時の部屋は、部屋中矢沢のポスターとぽつんと大きなベット そしてインテリアコーディネーターの鮫虎は カーテンでなくて、☆E Yazawa☆のビーチタオル さすが俺の後輩 銀コーマン 感動のあまり 「先輩、家賃の半分出すから、昼だけ使わせてくれませんか」 鮫虎にやりと微笑みながら、OK その後、後輩のコーマン君 昼から鮫虎の部屋で ホ××がわりにコー××のしすぎがばれたのか コウカク 左遷 されてしまったぜ 人生のバイブルは矢沢の歌だった そんな中でもコレ「鎖を引きちぎれ」 やはりLIVEにつきる |